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なぜ巡り合うのかを、私達は誰も知らない。

ある日の電車内でした。


打ち合わせを終えた夕方、私は地下鉄を利用して会社へ戻っている途中でした。

会社帰りに同僚たちと夜の歓楽街へと足を運ぶ人々や、待ちに待った休日を楽しもうと自宅へ帰る人達の流れが、この日はなぜかいつもより多く感じました。扉の近くにあるサイドスペースでいつものように本を読んでいると、電車は駅へと到着しました。ここから乗って、あるいは降りていく人達の行方を想像しながら、「大人を輝かせるのは、やっぱり仕事だと思う」という人材会社のキャッチを思い出していました。


扉が開かれると、夕方という時間帯のせいでしょうか、車内の人たちがゾロゾロと降りて行きました。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態から突然解消された乗客たちは、各々空いた席に座ったり、同じ体制から解放されて、ずっと片方の手で持っていた鞄を持ちなおしたりと、体をリラックスさせたりしていました。
その時、60歳くらいの男性が乗りこんできました。そしてそのすぐ後に、この男性を呼び止めるかのように2人の女性がホームから電車の入口へ近づいてきました。たまたまその入口付近にいた私には目もくれず、その2人の女性達は「すいません、そこの方、何か落しましたよ、すいません、そこの方」としきりにその男性へ向かって声をかけていました。

私は一向に気づく様子のない男性を見限って「どうしたんですか」とその女性に声をかけました。すると女性が、たまたまあそこの男性の方が落し物をしたのを見て、落としたものを渡しに追いかけてきたと言いました。地下鉄の乗降時間は長くて30秒ほどです。しかしこの駅は他の駅と比べると乗降者数が多いので、夕方のラッシュ時にもなると、1分程扉が閉まらないことも珍しくありません。それが功を奏し、その説明を十分理解出来た私は、落し物を彼に届けますと伝え、2人の女性からその荷物を受け取りました。

落し物は何かの書類のように見えました。一瞬目を落としただけなので詳しい内容はわかりません。A4サイズくらいの茶封筒に何かが入っていました。運よく男性は、私が立っている扉のすぐ近くに座っていました。恐らくこの男性だろうと思い、距離にして数歩、私は彼に近づきました。
その時、それを落としたことに気づいた彼が、すごい形相で立ちあがり一目散に私が立っていた扉へと向かい始めました。私は彼に「落し物ですよ」と声をかけまいたが、その声は届かなかったらしく、私の体を押しのけて降りようとしました。そこでもう一度「これを探しているのではありませんか?」と、彼の体を少しだけ遮るように立ちなおして、私は言いました。ようやく落し物を持った私に彼は気づきました。
「すみません、ありがとうございます。ありがとうございます。」 彼はそう言うと同時に、緊迫した表情がみるみる安堵の表情へと変わっていきました。私はどういたしましてと言いながら、私が拾ったのではないのだが・・・と思いましたが、言うタイミングを逸してしまい、軽く会釈をしてその場を離れました。扉の近くへ戻ると、落し物を拾った2人の女性が私に「ありがとうございました。よかったです。」と言ったと同時くらいに、電車のドアが閉まりました。

まもなくして電車が動き始めました。窓越しに見える先ほどの女性達に会釈をした後、私はちらりと男性の方を見ました。内容物を確かめてホッとしている様子の彼は、今度は絶対に落とさないという気持ちからでしょうか、母親が子供を抱きしめるように、強くその茶封筒を胸に包み込んでいました。大切な何かであることは間違いなさそうでした。私はあの2人の女性がこの光景を見ると、きっと喜ぶだろうなと思いました。それほどまでに男性はしっかりとその茶封筒を抱え込んでいたのです。

次の駅だったか、その次の次だったかは思い出せませんが(正確には本を読んでいたので気づかなかっただけ(笑))どこかの駅へ着いた時、私の肩を叩く人がいました。ふと思い見てみると、先ほどの男性がニコニコしながら私の横に立っていました。「ここで降りるんです。先ほどはありがとうございました。」そう言うと彼は電車から降りて行きました。扉の近くに立っていた私は、「よかったですね」と言葉少なめに返事をしました。男性は振り返って「本当に大事なものだったんで、とても感謝しています。本当にありがとう。」と、何度も頭を下げていました。ここでも2人の女性から預かっただけだと言おうとしましたが、その男性のとても気持ちのいい感謝の笑顔に、私は少しの言葉と笑顔で答えただけでした。こういうのを本当の偽善者と呼ぶのだろうと、少し後ろめたい気持ちもありましたが、あの男性の笑顔は、私にその真実を伝えることを思い留まらせるのには十分でした。いい子ぶる気は毛頭ありませんでしたが、ただその時は、あの感謝の表情が含む気持ちを気持ちよく受けたかったんだと思います。









東日本大震災から1カ月余りが経ちましたが、未だ被災地は未来の希望と、先が見えない絶望が、様々な人たちの心で優劣を付けながら存在しています。私のような元気な地域の人間には計り知れない被災地の方々の心情は、TVや新聞から感じるより遥かにギリギリのところに置かれている思います。落し物を渡した後、なぜかこんなことを考えていました。人の善意とは何か。時には厳しく接する善意もあるが、全ては思いやりで構成されている意思の一種だと思う。その思いやりを構成しているものは何か。それは自己体験だったり想像力、教育、その他様々な教え、教訓だと思います。ではそれがほとんど身についていない小さな子供はどうか。子供にも優しさがある。友達におもちゃを貸してあげたり、おいしいソーセージを妹に分けてあげるお姉ちゃんもいるでしょう。なぜか。

人間には、決して万物では測れない思いやる心が、生まれたときから既にあるのではないか。理由もなく人を突き動かすエネルギーの源は、意外にもそこから発せられているのかもしれません。行動のきっかけは経験や知識だと思いますが、善意とは、生まれ持ったその人の能力、チカラの総称だと思う。その量に個人差はあるのかもしれませんが、人はそれを経験や想像力などによって鍛え、柔軟に発揮することができる。どんな時でも。





中島みゆきの曲 「糸」 に、こんな歌詞があります。

なぜ巡り会うのかを、私たちは何も知らない
いつ巡り会うのかを私たちはいつも知らない
どこに居たの 生きてきたの 遠い空の下 二つの物語
たての糸はあなた よこの糸は私
織り成す布はいつか誰かを温めうるかもしれない

★ライブ映像★



あの日、車内で経験したことは、周りから見れば普通の事だったと思う。
でも受け取った側と渡した側の心理は少し違ったものになる。その経験がまた、お互いの善意というチカラを鍛え、育てていくのかもしれません。沢山の人たちがGWを利用して東北へ向かっています。阪神大震災を経験した人達や、それを体験していない高校生達が、それぞれの想いを胸に秘めて、被災地へと向かっています。お互い誰かも知らない同士が持つ糸が重なり合う時、その行為が誰かを救う布になるかもしれない、経験も知識も人生の何もかもが違う者同士が、1人の人生を温めうるのかも知れません。結果として誰かが思いやりの心を育み、次の世代へ繋げていくのでしょう。そうやって繋がっている先端に私達がいます。遥か昔から続いてきたその行為が折り重なって、今の社会があるのだと思います。





天王寺駅に着いた頃には、すでに空も暗くなり始めていました。
様々な人達が改札をくぐり抜けて行きました。もちろんその中に私もいました。
ホームは相変わらず慌ただしく、人々を迎える電車が忙しく出入りしていました。雑踏へ消える後ろ姿を眺めながら、皆さんお疲れ様です、心の中でそうつぶやきました。










そして、

明日も頑張ろう。 そう思いました。











プロフィール

Saymer

Author:Saymer
洋楽ロック(80’s~90’s)と、スポーツ(球技全般)をこよなく愛しております。海山で自然との遊戯を好み、時間と資金と心に余裕があればすぐに動き出します。
読書も好きで、政治経済から推理小説、宗教理念やノンフィクション物まで何でも読みます。いい歳してTVゲームも好きで、結局インドアなのかアウトドアなのか自分でもよく分りません。
法律と科学を好み、文系か理系かこれまた自分でもよくわからない嗜好の持ち主です。
免疫力が弱いらしく、すぐにウイルスに負けてしまいます。阪和線で季節を問わず鼻水たらしながら本を読んでいるヒトを見かけたら、それは多分私です。

仕事は大阪の工務店で、不動産事業を行っております。
主に店舗不動産の仲介、売買、コンサルティングですが、収益物件取引、住居・店舗の賃貸や管理なども行っております。

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